80歳を過ぎて

翔子誕生から私はひたすら祈り続けた。40年間、祈ることが私の仕事であった。

祈り果てて後に、今私は80歳を過ぎ、翔子をこの世に残して逝かなければならない刻が迫ってきている。

『いまを愛して生きてゆく ダウン症の書家、心を照らす魂の筆跡』(書:金澤翔子 文:金澤泰子/PHP研究所)

知的障害者を授かった母親は二度大きく苦しまなければならない。障害と告知された時の衝撃的な苦しみ、それから歳月が経つと共に少しずつ、翔子の良さが見えてきて、絶望の淵から抜け出て穏やかになり、至福の裡(うち)に暮らしている。けれど、これから私は翔子を残して命を終わらせなければならない時期に近づいた。この障害者を残しての終活は難しい。

翔子は一人暮らしをして10年目に突入する。街の中で商店街の人に支えられ、翔子独特の魔法のような幻想の世界を失わずに皆に愛されて、堂々たる見事な一人暮らしを成り立たせている。