日本初の一人暮らし
私が翔子の一人暮らしを強行したのは、すでに父親も亡くなり兄弟姉妹もない身寄りのない翔子を残していくための私の覚悟の自立への道の選択であった。書を仕事にしながら、とにかく素晴らしい生き方で一人暮らしを達成しているけれど、一方でもう私の命もそう長くはないと思う。
書道は私の亡き後に翔子が一人で継続していくことは難しい。紙のこと、墨、筆、文言のこと等々、翔子の知能に応じた作品作り、席上揮毫(きごう)の舞台上でのお手番は私なき後は難しい。
知的障害者は一人で芸術活動を続けることは困難である。どうしても支える人がいなければならない。多分、翔子の書道活動を今のように活発に続けることはできない。書の道だけで生きた私は上手く社会に入って行けずに、翔子とどこの団体にも属さずに独特に生きて独自に一人暮らしをさせたので、独自に翔子の生涯を導いてあげなければならない。
翔子が一人暮らしをした頃は、日本にはまだ誰も翔子のようにヘルパーさんもなく完全に一人暮らしをするダウン症の方はいなかった。いわば日本初の一人暮らしであった。賢い翔子はこの一人暮らしを成功させた。私もこの見事な一人暮らしは大成功であったと感心する。