ノンフィクションライターの石戸諭氏(著者提供)

「祭り」の先にあるもの

一時の感情や共感をフックにして選挙を音楽フェスのように盛り上げて逆転の可能性に賭ける、もしくは自分の名前や主張を世に知らしめる。こうした手法はポピュリズムと相性がいい。

イデオロギーを根幹に据える政治家が体系的な思想に基づいた「主義」で世界を捉えていくのに対し、本書で取り上げた「嫌われ者」たちはしばしば世界の見方を単純化し、その単純化された世界の主人公として登場する。

既成政党や官僚、メディアを既得権益側と位置付け、「持たない者」との対立構造を争点に据えること。こうした構図作りは必ずしも悪ではない。ポピュリストは大衆の隠された意志、言語化されない思いを具現化する存在であり、既成政党や政治家への不満を突きつけるからだ。だが、同時にこう問う必要はある。

東京都知事選に限らず「政治を盛り上げたい」と口にする候補者は少なくないが、盛り上げた先にどのような社会を構想しているのか。それがまったく見えてこないことに問題の本質が宿る。そこから見えるのは広範なポピュラリティーの獲得というよりも、より小さな内輪受けレベルを超える主張がない候補者が乱立する現状だ。