そのうち上の兄貴が映画館の映写技師をやりだすと、お袋がそこで切符のもぎりをやる。それからお茶子と言って、当時の映画館は畳敷きですから座布団やら煙草盆やらを運んだり。おかげで僕は毎日映画をただで観られるわけなんです。

1日3本立てが日替わりですから、もうあの頃に何千本観たかわからない。観たなかで「社長シリーズ」の三木のり平が最高だな、と思いましたね。何かあの質感が好きでした。この人の弟子になりたい! と思うくらい憧れましたね。

 

中学2年の時、大阪で一家5人が一緒に暮らすようになるが、相変らず楽とは言えない生活。

――新聞配達とかいろんなことをやって一家で働くけど、相変わらず貧乏でしたね。それで二十歳の時に東京へ出て俳優になりたいと決心するわけですよ。

兄貴たちは反対しましたけど、親父はその昔、料亭のお坊ちゃん時代に当時の二枚目スター・鈴木傳明に憧れて、弟子入りしたくて家出したくらいの人ですから、「おぅ、やれやれっ」と賛成してくれて。兄貴たちも、お袋に毎月仕送りすることを条件に許してくれました。

当時は大阪から4時間半。遠かったですね、東京は。怖かったし。不安だらけでしたけど、この二十歳の時の上京が第1の転機でしょうね。三木のり平への内弟子志願は、お袋への仕送りと両立できないのでまずは断念しました。