大部屋ではいじめに遭ったり、酔った社員に殴られて殴り返したことで仕事を干され、結局3年で東映を去る。

――辞める時、健さんに挨拶に行ったら、「いったん男が口にしたんだから役者は続けなきゃダメだよ、首まで泥に浸かってやれよ」って言われましてね。それで今度は舞台関係の通行人とか、その他大勢になるわけです。

その頃お袋が亡くなって、仕送りしなくてよくなりました。お袋は酒さえ飲まなきゃ菩薩のような人で、大好きでしたね……。

舞台の仕事は、ひばりさんとか島倉千代子さんとか坂本九さんのステージ。でも3年経っても役はつかないし、と諦めて今度は日劇ミュージックホールに潜り込んでるところへ、突然九さんから電話で「俺のステージの司会やってくんない?」「いや、司会なんてやったことないけど……頑張ります」って。

これ、前に九さんがフランキー堺さんたちと『雲の上団五郎一座』って芝居をやった時に、僕が楽屋で白木みのるさんにちょっと親切にしたりしてたのを九さんが見てたらしいんですよ。

それで司会に起用してくれて、契約の2年が終わったら、今度は俺のマネージャーやってくんないかと言われたけど、「いやぁ、もうちょっと舞台をやってみたいです」「そうか、頑張れよ」って別れましてね。

九さんは僕の五つ年上で、兄貴のように思ってましたから、今の女房と世帯を持とうかって時に、仲人を頼んでたんですよ、九さんご夫妻に。そうしたら、あの飛行機事故(85年)。あの日、僕が酔っ払って帰ったら、彼女が「九ちゃんが大変!」。「何っ!!」って酔いがいっぺんにスッと醒めちゃった。大恩人でしたからね。1年喪に服して、次の年に所帯を持ちました。

後編につづく