1年待たずに襲名していれば……
端正な美貌で観客を魅了し続ける歌舞伎界の貴公子、尾上菊之助さん。近頃は女方や二枚目ばかりでなく、時代物や世話物の立役へと、その役どころの広げ方は目を見張るばかり。
そうした菊之助さんもいよいよ今年5月に八代目尾上菊五郎を襲名し、長男の丑之助さんが菊之助を六代目として継ぐことになる。
そして、現・七代目菊五郎さんはと言えば、前代未聞! あえて改名せずにこれまで通りの菊五郎。「永年名乗ってきた菊五郎の名を、今さら変える気はないね」と記者会見で胸を張るのを映像で見て、内心「音羽屋っ」と声を掛けたくなった。
――私もやはり最初は戸惑いましたね、同じ名前が並び立つということに。
でも初代さんから代々の菊五郎は、時代の移り変わりに従って、創意工夫して適応してきましたので、父が菊五郎のままで行くという前代未聞のことをするのも、傾(かぶ)いてて、歌舞伎役者らしくていいなと思ったんですよ。
襲名って、本当にいろんなことを考えさせられますね。
第1の転機はやはり、私が前名の丑之助から菊之助になる襲名だったと思います。18歳の時でした。
父は私の学業優先で、そんなに芝居に多く出させないで、長い目で見てくれていましたね。私が15歳の時、祖父(七代目尾上梅幸)と父と『三人道成寺』(『京鹿子娘三人道成寺』)を踊ったんですが、その時の祖父は70を超しているんですね。でも孫のために三代で『道成寺』を踊ろうと企画して、そのために毎日のようにお稽古をしてくれました。
いざ舞台に立つと緊張の連続で、道行から最後まで一段踊るというのは本当にとんでもないことなんだなと思いながら、祖父や父に食らいついていく、という気持ちで毎日やっておりましたね。
それで17歳の時に、菊之助を襲名しないかと祖父から言われたんですが、果たしていきなり歌舞伎座で出し物(主演)ができるだろうかと、決断に踏み切れなかった。そのため一年間稽古に専念させてもらおうと先延ばしにしたところ、祖父が病気になってあっという間に亡くなってしまったんです。
一年待たずにその時襲名していれば、祖父にも菊之助になった自分の姿を見せられたのに、という悔いが残りました。