筆者の関容子さん(左)と

そして菊之助さんから次なる蜷川演出への熱望は、パリからロンドンへの国際電話で伝えられる。

――今の團十郎さんがその前名の海老蔵を襲名したのが2004年で、その公演がパリのシャイヨー宮でありましたよね。私もそれに参加していて、そこから蜷川さんに電話したらロンドンでキャッチしてくださって、歌舞伎でシェイクスピアの『十二夜』をぜひ演出していただきたい、ってお願いしました。実現したのが翌年7月の歌舞伎座ですから、早かったですね。

そこで痛感したことは、自分の古典の引き出しの中身の薄さでした。蜷川さんに「ここ歌舞伎だったらどうやるの?」って訊かれても、咄嗟に答えられない。すると父や先輩の役者さんが助けてくれて、蜷川さんとコミュニケーションを取ってくださいました。

この時、蜷川さんは、初めて歌舞伎の国へ留学するつもりで来た、と言っておられて、その時、いくつになっても挑戦し続ける、進化し続ける精神、というものを私は勉強しましたね。

後編につづく

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