筆者の関容子さん(右)と

健さんの一字をもらって

上京した石倉さんに次々と素晴らしい出会いが訪れる。その状況を語る石倉さんのコントもどきが楽しい。

――まず就職したのが新大久保の最中屋で、毎日餡こを練ってました。そしたらパートのおばちゃんが、「兄ちゃん何、俳優さんになりたいの?」「まぁ一応」「だったらこんなとこで餡こ練ってないで、青山ってとこへ行けばもうスターさんがわんわんいるから、行ってごらん」って。

行ってどうすんのかよ、と思ったけど、休みの日に東京見物かたがた行ってみたら、「従業員募集」の札。ユアーズという深夜営業のハシリみたいなスーパーですね。

入ってみたら、店の奥に石原裕次郎さんがいたんですよ。そこの社長と裕次郎さんは慶應時代の友達だったわけですね。ずっとのちに裕次郎さんに「僕の本名は石原でして」と言ったら、「おっ、親戚かもしれない」って言ってくださいました。

それでユアーズに就職して、毎晩遅くに行ってた喫茶店で高倉健さんとの大きな出会いがあるんですけど……これが第2の転機ですね。

ある晩、いつも遠くの席で眺めてた健さんが僕を手招きして、「サブちゃん、おいでよ」って言うんです。そこのママさんから僕の名前を聞いてたんでしょうね。行くといきなり、「サブちゃん、喧嘩が好きなの?」って。

「嫌いですよ喧嘩なんてのは」「そうだよなぁ、じゃあなんで毎日そんなに赤タン青タン吹いてんの?」って、おでこや頬っぺたの赤あざ青あざを指して言うんです。酔っ払いの客に駐車場でからまれたりとか……って言ってたら、ママさんが「実はこの子、役者志望なんですよ」って言ってくれて。

「じゃあ、東映に来るか」「だって俺、素人ですよ」「いや、俺だって最初は素人だよ」「じゃあお願いします」ってね。

そこで、ユアーズに勤めながら東映の大部屋に入りました。当時は事務所に電話がかかると「石原さーん」って呼び出される。それで行ってみると「お前じゃないよ」って、もう一人の石原さんが。で、こっちが名前を変えることになって、健さんの名字から一字をもらって石倉三郎としたわけなんですよ。