「掌中」と「可及的にすみやかに」の対照性

――「掌中」のワンシーンに登場した「詩織」が、のちに「可及的に、すみやかに」の主人公となりました。なぜ彼女に焦点をあてようと思ったのですか?

「掌中」の中盤で、幸子と大人になった詩織が再会するシーンが、私はこの物語の中で一番好きなんです。あのシーンで、幸子は蒼汰(幸子の息子)の同級生である詩織が結婚・離婚し、幼い子供がいることを知る。そしてそれを知った上で、小学生の時に詩織が蒼汰を好きだったことを思い出し、彼女に、今でも好きかと問いかける。この世界で、自分以外に息子を想ってくれている人がいるのか、縋るように好意を確かめる姿が痛々しくて、幸子の抱えていた狂気が顕在化した瞬間だと思いました。

詩織の時間は進み続けているのに、幸子の頭の中に存在する詩織は「蒼汰のことが好きだった小学生時代」のままで、埋めようのないギャップに直面する。実はこの場面に辿り着くまで、物語全体に流れる閉塞感からか、なんとなく筆が停滞していたのですが、幸子の止まっている時間を認識したことで、かえってこの小説がきちんと進んでいることを実感できたんです。

そして詩織視点の物語のイメージができあがり、2編ともに通底する「時間の流れ」や「速度」を「可及的に、すみやかに」ではもう少し明快に描きたいと思い、このタイトルにしました。

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――「掌中」と「可及的に、すみやかに」。かなり読み味に違いがありますが、意識して対比させたのでしょうか。

意識して対比させたわけではありませんが、私が主人公に抱いているイメージの違いがそのまま反映されたと思います。「掌中」の主人公である幸子は、家族とのコミュニケーションが少なく、鬱屈とした、寄る辺のない孤独感が物語全体に重たく垂れこめています。繰り返される窃盗も切迫感があって、意識せずともサスペンス色の濃い仕上がりになりました。

一方で、「掌中」の途中で登場する詩織という存在は、溌剌としていて鮮やかで、短い登場シーンではありますが、物語の中でとても求心力のあるキャラクターに感じました。もし幸子とは対照的なイメージを持つ彼女を主人公に据えた時、どんな物語になるだろうという興味から「可及的に、すみやかに」が生まれ、彼女の息子である翔の存在も相まって、物語全体が明るくて穏やかな雰囲気を纏ったと思います。