メキシコで息子を出産したの。父親はカメラマンでしたが、メキシコの男って私以上に自分本位で(笑)。いくたびも修羅場を体験、何とかいい関係を維持しようと日々エネルギーを使うのに、やがて疲れ果ててしまって……。
子供が3歳の時日本に戻りました。自分の身体を良くしつつお金を稼ぐには鍼灸師になろうと思って。私が未婚でダブルの子供を産んだことなど、母も家族も気にもとめなかった。すぐに町内会のバスツアーに息子を連れて行ったんですよ。「その子、誰なの?」と聞かれたと思うけど、母はなんて答えたんだろう。(笑)
思えば、わが家は「世間がどう見てるか」をまったく気にしない家で、リブ運動への嫌がらせで公安が実家に来ても、母曰く、「あの子は損なことをしてるけれど、間違ったことはしていない」と。「お前のままでいいよ」と常に思ってくれてた家族。それだからリブの先頭に立って、「この指止まれ」と言い出す勇気が持てたんだと思います。
機動隊の彼も、私も「たまたま」にすぎない
——帰国後、80年代に入ってフェミニズムの機運が盛り上がっても、渦中に入ることはなかった。「フェミニズムは女性解放、でもリブは私の解放だったから」だ。そのくせ、米軍基地建設に反対して辺野古に座り込みに通うなど、矢も楯もたまらず行動に出てしまう。そんな美津さんを追ったドキュメンタリー映画『この星は、私の星じゃない』が、2019年秋に完成し、全国で上映されている。
私みたいな人間は、みんなで同じことをする「運動」には向いていません。リブ運動やって、よくわかった。(笑)
辺野古に行くと若い機動隊員に「あなたねえ、こんな仕事やめなさいよ」と、いつも話しかけてます。機動隊の彼があそこにいるのは「たまたま」にすぎない。私もそう。まだ辺野古で座り込みする元気があるのも、たまたまです。さらに足腰老いていくと、いつか私も支援したくてもできなくなる。
たまたま沖縄に来られてる私が、たまたまそこに立ってる機動隊のおにいちゃんに「やめなさいよ、こんな仕事」と話しかける。向こうはどう思ってるかわからないけど、こういう声かけは76歳の私に似合ってる気がして、我ながら「あぁー、いい歳だ」と思うのね。老いるって喪うことばかりと思っていたら、そうでもない。
そう思うと、なんだか嬉しい。