田中美津さん(撮影:松本路子)
平塚らいてうの『青鞜』からおよそ100年。#Me Too運動が高まりを見せるなか、今あらためてひとりの女性が注目を集めている(構成=島崎今日子 撮影=松本路子)

私の上にだけなぜ石が落ちてきたのか

——1970年代初頭、この人が「生き難い女、この指止まれ!」と呼びかけた1枚のビラから日本のウーマン・リブは始まった。田中美津さん、76歳。現役の鍼灸師にして、「リブのカリスマ」と呼ばれるが、当人はそんな称号をことさら喜ばない。

リブの権威なんて、周りが勝手にそう思ってるだけです。『フェミニズムの名著50』に選出された5冊の日本人の著作の中に、与謝野晶子や平塚らいてうらの作品と一緒に私の書いた『いのちの女たち─とり乱しウーマン・リブ論』も入っています。

著者5人の中で、生きてるのは私だけ。講演会に呼ばれた時など「今なら本にサインができますよ」と言って、宣伝しています。それくらいかな、権威といわれていいのは。(笑)

今までやってきたことで一番好きなのは、鍼灸師の仕事です。37年間、脇目もふらずにやってきた鍼灸。即効性の治療ではなく、「こうなりたかった自分と出会える身体にしよう」が治療方針なので、一人の患者さんに何時間も何年もかけます。もう、みんな自然に、身体を良くすることは生きやすくなることだと気づいてくれます。身体が良くなったのに暗いなんて人、見たことがないもの。

オーバーに言えば患者の傍らで、人生を一緒に歩いていくのが、私の仕事。私自身、子供の頃から虚弱児だったので身体の辛さはわがことなんです。

——1943年、東京・本郷で魚屋(後に料理屋)を営む両親のもとに生まれる。両親ともに働き手の商売人の娘は放任主義のもと自由に育つが、5歳の頃に人生を左右する出来事が起こった。

店の男性従業員にキスされて、性器に触らされるという、性的虐待にあいました。でも、幼いなりに性的なときめきもあって、遊びの延長みたいに思っていた。だから母が優しく髪を梳かしてくれた時に、お返しのつもりでその遊びの話をしたら、母が仰天。すぐに従業員と彼の父親を呼び出して厳しく叱りつけました。

で、その時の母はなかなかで、以後一切そのことに触れることはなく、「そんなことあった?」という顔で私を育ててくれたんです。