虐待された側がする側になるという説
巷間言われがちなことに、人が虐待をする理由として、親や他の家族から虐待を学んでしまうから、自分も他者に対してそのように振る舞うのだ、という言説がある。
幼少期の被虐待の経験や、身近にいる大切な存在がくり返し言葉や暴力によって虐待されるのを見たりすることで、行動の内的モデルがそのように歪められてしまい、自分もそれがスタンダードな行動であると信じてそう振る舞うようになる、というものだ。
この考え方にも理がないわけではない。虐待を受けた人は、その記憶を想起することによって、自分がかつて傷つけられたことを実感すれば想起のたびに二度、三度と心理的に傷つくことになる。
それを回避するために、虐待は攻撃ではなく普通の行動であったのだ、ないしはあれは愛情だったのだと認知する。すると、自分が同じ行動をとったとき、それは相手を傷つけているのではなく、その人を思ってそうしているのだ、その人のために自分はあえてこのような行動をとっているのだ、と言うだろう。