虐待する側から発見された遺伝的素因
自尊感情の低さについてしばしば話題になることがある。これは多様なかたちがあれども、実際に虐待に遭ったことがあるかどうか、またストレスの大きい環境にいたかどうかによって影響を受ける。
虐待をする人について書かれた文章も多い。著者は冷静に書いているようであっても、第三者的に見ればややエモーショナルではないかと感じられるものも少なくはなく、また読み手も当事者ないしは当事者に近いところにいた人物であれば百パーセント客観的にそれを読むということは難しいだろう。
虐待について、その行動が遺伝子を含む生物学的な要因を持つことを示唆する研究があるが、多くの人はこれを認めたくはないのではないかと思う。倫理的にはこのようなことを語るべきではないと考えられがちなことではある。
しかし、実験的な事実として見いだされているものをポリティカルコレクトネスによって歪めてしまってもよいものかどうかというジレンマは、科学がややもすれば世間から冷たいものとして見られてしまうある種のリスクとともに、常に科学者が抱えているストレスにもなっていることは明記しておかねばならない。
素因を持っているとはいえ、ある人が虐待を実際にするかどうかというのは、遺伝的に決定される性格的な要素とは別の後天的な理由も介在するということも、当然考慮に入れるべき変数となる。けれども、依存症が遺伝的な素因を持つことと同様で、その素因そのものは環境要因によって変化するものではない。変容するのは行動であって素因があるという事実は変わらない。要は、行動に起こしてしまうかどうかが後天的に制御できる部分であって、その回路自体は生物学的に存在することを否定するのは少なくとも科学的な態度とは到底言えない。