料理という行為自体の中に喜びを
佐々木 家事がシャドウ・ワークであるとか、無給労働であるとか、そういう話によくなりますけど、料理が労働に近いものなら、担当したくなくなるのも当然かもしれないですね。「どうして私だけ、決まった食材を買いに行かされて、分量をちまちま量らされなきゃいけないの?」って。もちろん「きちんとレシピを見て料理を作る」ことがその人のスタイルとして確立しているなら、誰かに咎められるべきものではない。
でも自分が料理のどこにつまずいていたんだろうと思い返すと、やっぱりレシピとにらめっこしながら作るのが、苦痛だったんですよね。料理というのは、山口さんも言うようにそもそも他人軸が多いですよね。食材は自分で作っていない、賞味期限があるからそれを優先して使わなきゃいけない、食べる人の好みがあるから合わせなきゃいけない。それで作り方まで指示されるとなると、「自分」が関わる余地はどこにあるの? と思ったりします。
山口 料理を始める動機も、節約のため、ダイエットのため、子どもができた、とかさまざまな義務感から始まっていることが多いように思うんです。だから料理という行為自体の中に喜びを感じられたほうが、続くと思うんですよね。
佐々木 ぼくが料理でいちばん喜びを感じるのは、勘で適当に作ったソースが美味しかったとか、そんなときです。キッチンは自分のアイデアが自由に発揮できる場所だと思えたり、料理するときに「今日はどんな創作活動をしてやろうか」とクリエイティブになれるなら、やらなきゃいけないものから、やりたいものになるんじゃないかと思って。
山口 私は、料理を奪い合う家事にしたいんですよね。
佐々木 「俺が作るよ!」
山口 「いや、私が作りたい!」みたいな(笑)。