思考停止へとミスリードを続けるも仕方なし

教師の体罰は、いかなる場合でも許さぬ社会に様変わりした。だが暴力と結びつけて、杓子定規で断ずるのは思考停止を招いてしまう。根本のところで論じようとすれば、100の体罰があれば100の理由があり、その中には使ったほうがいい場合もある──そういった議論さえも遠ざけてしまうのはいかがなものか。

現代病である。メディアによるミスリードが大きな要因のひとつだ。

(写真提供:Photo AC)

世論におっかなびっくりしながら、社会に迎合しながら、大メディアは民事を報じる。シビアなスポンサー様の機嫌を損ないたくない。批判や、ましてや炎上は御法度だから、社会迎合主義にならざるを得ない。だから「暴力だけは論外」とフォーマットにはめ込んでしまえば、安全なのだ。本来優秀なメディアマンなのに、がんじがらめなのは気の毒である。

こうして思考停止社会を作り上げている。昭和後期世代にとっては嘆かわしいものの、仕方なしと日々の職場で飲み込んでいる。毎日辟易しているから、酒場の隅では雄弁になる。

「おっかしくねえ」と投げ合いながら、「俺たちの時代はさあ」と口論するのが楽しかったりする。