でも最初の相棒とは別れて、今度はレオナルド熊と組んで「ラッキーパンチ」、次に「コント・レオナルド」。これが当たって、一躍脚光を浴びましたね。ある時、名古屋で飲んでたら店の女の人が来て、「のり平先生がお呼びです」。
「えーっ」って飛んで行きましたよ。「まぁ座りなよ、俺な、お前らのファンなんだよ」「いやもうとんでもないですよ」「お前、舞台やれよ、やったほうがいいよ、やれっ」ってね。それからはドラマや芝居で共演させていただいて、親父みたいな感じにまでなりました。
最後はNHK朝ドラの『すずらん』(99年)で、親子の役。2、3週分北海道で撮って、今度は東京でセットという時にのり平さんは風邪をひいて、そっからもうダメでしたね。
結局僕はのり平の棺を担いだんですからね。誇らしかったですよ。子供の頃から憧れた人でしたから。「求めよ、さらば与えられん」って言葉が浮かんだりしましたね。