東京にもいい人がいると思った
昭和32(1957)年の年明け早々、北海道旭川を発ち函館に向かいます。「旭川の駅で見送られたときは、ジーンとくるものがあったね。でも、またすぐ帰るって内心思っていたから……」。そこから、青函連絡船です。「いやもう、揺れたのなんのって、死ぬと思ったね。冬の海は荒れるんだよね」
船酔いでふらふらになりながら、青森から列車に乗って上野へ。同年1月7日の早朝、上野駅に到着しました。ここでアクシデントが待っています。
北の富士「間違えて、上野駅の動物園口のほうに降りてしまった。少し坂があって、そこですってんころりんですよ。おふくろに持たされた3つの大きな袋があってね。中には小豆がぎっしり入っている。旭川からお土産用に担いできた小豆でね。ひとつは出羽海部屋に、ひとつはスカウトしてくれた千代の山関に、もうひとつは東京でこれから世話になる人に、ってことでね。転んだ途端に、一袋がバーンとはじけて、坂に散らばってしまった。当時、小豆は赤いダイヤモンドといわれていましたよ。貴重だったんですよ。途方に暮れたよね」
藤井「雪でしたか?」
北の富士「いや、東京は全く降っていなかった。下駄に金具を打って来たら、アスファルトの上で滑っちゃった。それでも、通りすがりの人や通勤の人が小豆を集めてくれて……。最後に残ったおじさんが『にいちゃん、背が高いな。相撲に行くのか?』って。学生服に下駄だから、そう思ったんでしょうね。『そうです』って答えたら、『名前は何ていうんだ?応援してやるよ』って言ってくれた。ありがたかったねえ。東京にもいい人がいると思った」
そして、出羽海部屋に向かいます。