最後のノート

 1年の連載を延ばしてもらえないかとの申し出には「約束やから」と応じなかった作家は、その後、『西鶴の感情』『湖の南』を書き、74歳のときに契沖や鴨長明、橘曙覧ら遁世者の社会とのかかわりや暮らしを探った『隠者はめぐる』を岩波書店から出し、筆を擱(お)いた。

 〈世を遁れ世間の外へ出ている者がどのようにしてその日の糧を得て暮しているか、かれらをいったいだれが食べてさせているのか〉(『隠者はめぐる』2009年)

 担当した中川は、この本の途中で定年を迎えた。退職後に会社を立ち上げると、富岡は社名「ぷねうま舎」の揮毫(きごう)をいれた額を持ち神楽坂の事務所ヘ現れて祝い、上京の度に中川を呼び出した。コロナ禍前の2019年、実現しなかったが、山の上ホテルで菅木志雄の本について相談したのが作家と編集者が会った最後となった。
「富岡さんは、変わらずお元気でした。僕は、ここで書くのをやめるとか聞いたことはありません。何でもわかってしまっている方なので、どの仕事も編集者として特別工夫したりすることもなく、富岡さんのお考え通りにことは運んでいき、それでいいやと思わせてくれた。ひとの3倍くらい先を読んでおられて、同時代人として誇りたくなる方でした」
 2023年4月、富岡多惠子が87歳で逝去したあと、自宅のリビングには何冊かのスケッチブックと3冊の小判のノートが遺されていた。ノートはいずれも鉛筆で書かれており、2冊は『逆髪』以降の作品の覚え書きや取材メモ。5分の1ほどが使われたもう1冊、ロルバーンの黄色のメモ・ノートには、夫とふたりで並んで食べる夕飯の献立が記されていた。
 「2020 1/24・カレイの煮付け・ブロッコリーとブタ肉の甘辛いため(ハチミツ入り)・サツマイモの甘味煮  1/25・ユーリンチー・カリフラワー&薄油あげの煮たもの・菜花のカラシ合(ママ)え」
 最後のノートはここで終わっている。
 

※ご愛読ありがとうございました。本連載は、大幅加筆のうえ、今冬、中央公論新社から刊行予定です。

(バナー画提供:神奈川近代文学館) 

   

【関連記事】
【第1回】富岡多惠子、逝く
【第2回】白い教会の結婚式
【第3回】時代のカップル

 

 

「富岡多惠子の革命」連載一覧