イメージ(写真提供:写真AC)

 

寛解後、1年の月日がブロ友たちの生活を変えた。ほとんどの人がもう病人という感じではなくなった。

ピカリさんは退院し、何度目かの寛解を果たした。彼は家の近所のジムに通い、身体を鍛えることに夢中になった。ターさんは職場の重鎮らしく、連日深夜まで仕事をするようになった。誰よりも先に寛解したクミさんはチワワを2匹飼い始めて、闘病ブログから犬ブログへ切り替えた。レミさんは趣味の旅行を復活させ、たびたび海外に出かけるようになった。新しい勉強も始めたようだ。

私も私なりに仕事を続け、友人の勧めもあって趣味のイラストを展示する個展を開くことを決めた。そんな頃、ターさんから、「5年経ったら、みんなで会おう」という提案があった。

寛解から5年、再発しなければ、がんは治った、というひとつの目安がある。いい提案だと思った。そう、私たちは人生の中のもっともつらい時期を一緒に過ごした、特別な間柄なのに、本名も、顔も知らないのだ。それはとても不思議な関係だ。ネット社会に縁のなかった二十数年前ならありえない関係だろう。

そうだ。5年経ったら、元気にみんなで会おう。会って、あらためて自己紹介するのもいいと思った。その時、なるべく素敵な56歳の私でありたいと願った。

 

長い闘いを終えた戦友へ

それからさらに1年が経った。私の寛解2年目の夏、ピカリさんから意外な申し出があった。5年後なんていわないで、秋になったらみんなで東京で会おうよ、と。同病のブロ友グループは新しいメンバーも加わって、ちょっとしたサークルのようになっていた。ピカリさんはその中でも中心人物だったので、ピカリさんがそこまで言うのなら会おう、とみんな前向きな気持ちになった。

ターさんが幹事になって、日程やお店を決め、参加者の出欠をとってくれた。いよいよその日が近づき、まさに会の直前に、なんとピカリさんが再発してしまったのだ。ピカリさんは主治医に東京に行かせてください、治療はそれからお願いします、と頼んだという。でも医師の答えはノーだった。