生きている証のために

あれからほんとうに5年が経った。私は相変わらず、何十年も関わってきた仕事を同じ会社の同じ部署で続けている。週に1度はジムに通い、趣味のイラストを続け、洋裁や着物の着付けを習った。「やりたい!」と思ったことは何にでもまずは挑戦するようになった。

レモンさん、ピカリさんとの別れは哀しい記憶だ。もっとも人にやさしくて、もっともみんなに愛された人がいなくなってしまった。私のように弱音を吐いたり、愚痴ばかり言っていた人間が元気に生きている。その他のブロ友たちのほとんども元気に生活している。中には今、病気と闘っている人もいる。

驚いたのは、悪性リンパ腫を告知されても、医師の指示で治療しない人もいるのだ。そのリンパ腫の場合、腫瘤が大きくなったり、増えたりしなければ、治療する必要がないとのこと。今後何か変化があれば治療を開始すればいいらしい。そう、一口に悪性リンパ腫といっても、何十もの種類があって、何もかもが千差万別なのだ。

実は私は告知を受けた時、医師から「最近では案外、治っちゃう病気ですよ」と言われた。がんの治療は日進月歩で進化している。他の癌の場合もそうだろう。最初に医師から、カジュアルな感じで言われたその言葉、「案外、治っちゃう病気ですよ」は、その後ずっと、治療中の私のお守りになった。果たして、私は、医師の言葉通りになった。今では、自分が病気だったこと、がんだったことを忘れていることさえある。いや、ほとんど忘れて暮らしている。

もちろん油断してはいけないが、この病気を必ずしもすぐに「死」に関連づける必要はないし、治ってしまったら一般の人と変わりがないことも事実ではないか。特に日本人は「2人に1人ががんになる」と言われているにもかかわらず、実はがんのことも、癌のことにも無知な面がある。いつまでも偏見を持つ人もいて、悲しいことだ。

さて、私たち元がん患者は、何年経っても闘病の日々のブログをそのまま残している。みんな語らずとも一様に思っていることがあるからだ。それはこの記録が、不幸にも今後、悪性リンパ腫になってしまう人たちの参考になってほしいという思いだ。

たいていの闘病ブロガーが、それまでの症状や告知のこと、どんな治療をどれくらいの時期に行ったかを、順を追って書いている。病院や医師のこと、副作用やその対処方法、気持ちの問題や仕事のこと、趣味のことを書いている。コメントのやり取りもそのままに残してある。

きっとその時、不安に思っている人の何かしらの役に立つのではないか。そして、その後、元気にやっている、生きているという証のために、1年に1度くらいは「今」を報告する記事を更新するのだ。


会いたい。あの日の顔も知らない戦友たちに
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