「物静かで聡明な人だった」
高校時代の同級生だった2人は40年前、同窓会での再会を機に結婚した。子どもはいなかった。美術が共通の趣味で、時間を見つけては国内外の美術館や博物館を巡った。「物静かで聡明な人だった」という妻とのけんかはほとんどなかったが、12年に大学を退職した頃から、もの忘れが増えるなどの異変が妻に現れた。
元教授が介護していた妻を自宅で絞殺した事件。殺人罪に問われた法廷で明らかになったのは、70代の夫婦2人きりによる老老介護の厳しい実情だった。
元教授の法廷供述によると、妻の症状は目に見えて悪くなっていったという。幻聴や幻覚に悩まされ、夫婦は夜も満足に眠れなくなった。診察を拒む妻を説得して病院に連れていき、認知症と診断されたのは事件の2年前に当たる20年。妻は施設への入所を嫌がった。
「身の回りの世話を負担に思うことはなかった」というものの、妻の変化には戸惑っていた。朗らかで素直な性格は意固地になり、口論が増えた。親族との会食の場で声を荒らげる姿に、妻の義姉も「おとなしい印象が全く違って驚いた」と振り返った。
追い詰めたのは介護だけではなかった。住まいには大学時代から集めた大量の本があり、書庫代わりに別の部屋も借りていた。不動産も含めて親族に相続するか、売却処分するか。自身も持病を抱え、本格的に終活を考えようとしたが、妻は相談できる状況になかった。
終活を支援するNPO法人「ら・し・さ」の20年の調査で、家族と老後や相続について話し合っているとの回答は60代以上でも半数だった。終活という言葉が浸透しつつある半面、準備は十分とはいえない。
老老介護の割合は増えている。厚生労働省の調査によると、介護する側もされる側も65歳以上の割合は22年に63.5%と初めて6割を超えた。01年の調査開始以降で最も高く、今後さらに増える見通しだ。

認知症を患っていれば介護負担はさらに増す。患者数は国内で600万人超。認知症を患った場合の不安について、内閣府が全国18歳以上の約1600人に複数回答で尋ねたところ「家族に身体的・精神的負担をかけるのではないか」との回答が73%で最多だった。