いまやライブチケットが入手困難なほど女性たちに絶大な人気を誇る、ムード歌謡グループ「純烈」。決して順風満帆だったとはいえないこれまでの道のり、そして今後の展望を聞いたインタビュー(『婦人公論』2月10日号掲載)を配信します。新型コロナによる自粛要請でイベントの中止が相次ぐ今、彼らのインタビューを5日連続で公開します! 第三夜は、白川裕二郎さんです。(撮影=木村直軌 構成=上田恵子)
決め手は「親孝行しようぜ」の一言
相撲取りの僕は、ケガを機に役者の道に進みました。なかなか芽が出ず、これでダメなら辞めようと26歳で臨んだのが『忍風戦隊ハリケンジャー』でした。人気を得たものの、若手の台頭で仕事は先細りに……。
そんな時に声をかけてくれたのが酒井でした。ファミレスに呼び出され、「ムード歌謡をやらないか」と。決め手は「親孝行しようぜ」の一言。母がひとりで僕と姉を育ててくれたので、胸に響きました。
あと、「メジャーデビューが決まっている」とも(笑)。そんなわけはなかったけれど、努力し続けたら紅白に出場できた。母は「活躍してくれて嬉しい」と、僕に手を合わせて泣いていました。これからも母やファンのために、全力で頑張ります。
今こそ見たい、純烈
〈第一夜〉悲願だった2度目の紅白出場。スーパー銭湯から愛を込めて
〈第二夜〉酒井一圭「遊園地での戦隊ショーでパフォーマンス力を身につけた」
〈第三夜〉白川裕二郎「決め手は〈親孝行しようぜ〉の一言でした」
〈第四夜〉後上翔太「続けてこられたのは、〈純烈が楽しいから〉」
〈第五夜〉小田井涼平「一度は断ったものの決断した理由は」
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白川裕二郎
歌手
1976年12月11日生まれ。神奈川県出身。身長185㎝。純烈のリードボーカル。1995年初土俵、翌年引退。大相撲時代の四股名は綱ノ富士。2002年 『忍風戦隊ハリケンジャー』で俳優デビュー。07年に純烈を結成。10年メジャーデビューした
純烈
コーラスグループ
2010年1stシングル『涙の銀座線』でメジャーデビュー。17年、「愛でしばりたい」がオリコン演歌チャート初登場1位、総合チャート5位という快挙を成し遂げ、「スーパー銭湯アイドル」としてテレビ番組に多数取り上げられるなど注目を浴びた。18年、グループ結成から11年で『第69回NHK紅白歌合戦』初出場を果たす。19年、2年連続で紅白出場を果たす
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