大河ドラマ『平清盛』の題字を担当するなど、金澤翔子さんは書の世界で活躍してきた。ダウン症の翔子さんに書道を手ほどきしたのは、母・泰子さん。二人三脚で活動を続けてきたが、泰子さんは自分の没後、娘が書家として生きていくのは難しいと考えている。終活を始めた母と娘は喫茶店を開くことに――(構成:田中有 撮影:藤澤靖子)
キラキラのネイルで憧れのウェイトレスに
――東急池上線久が原駅からほど近い商店街に「アトリエ翔子喫茶」はある。出迎えてくれたのは、金澤泰子さんと真紅のエプロン姿の金澤翔子さん。
泰子 本日は翔子の喫茶店にようこそいらっしゃいました。
翔子 いらっしゃいませ。
泰子 今日は愛媛からもお客さまが来てくださったんですよ。去年の12月にオープンして5ヵ月になりますが、翔子は一日も休まず、11時から18時まで働いています。お店とウェイトレスのお仕事、好きだもんね。
翔子 嬉しい。嬉しいです。毎日たのしくやってます。
泰子 そうね、楽しいよね。だって私、この子が書家になる前から、いつかはウェイトレスさんになれたらいいなと願っていて。ずっと育ててきましたから、接客業に向いているのはわかっていました。
高校時代に養護学校(現・特別支援学校)の実習でもウェイトレスをして、本当に楽しそうで。でも卒業後に希望した作業所には行けなかったのです。一方、保育園の頃に私の書道教室で始めた書道は、ずっと続けていました。
翔子が20歳になったら銀座で個展を開いてあげたい、と亡き夫と話していて。実際に開催したら、書のお仕事が一気に増えて……。そのまま書家としてやってきました。
翔子 これやりました。(きれいに結んだ髪をなであげる)