父の生前は、古い日本家屋のわが家は整然として、玄関も客間もいつでも人を通せるようになっていた。今や玄関には姉たちの靴が溢れ、彼らの不在時に私がそっと揃える。客間の鴨居には何十着もの服がだらりとかけられ、床の間も、以前の神聖な趣は消え去り、モバイル充電器のコンセントがのたくっている。
いつもにこやかで、人に尽くしてきた母は、義兄にひどいことを言われても、姉に文句を言うことはなかった。仕事ばかりだった姉が、やっとつかんだ相手だからと思っていたようだ。その気持ちはもちろん、私にもある。若いうちに父親を亡くし、働きづめだった姉。彼女なりに一家を背負う気持ちがあったのかも、と思うのは身内贔屓(びいき)だろうか。
気がつけば今年、同居生活15年目。母と共に担っていた家事を、私が一身に負うことになっても、姉からは気遣いの言葉は一切ないままだ。しかし私も現在は仕事のない身。こうなったら姉に寄生し、強く生きてやると思っている。
ある時姉が、家族の介護をしながら働く同僚を「いい人だけど、いまいち仕事ができないのよね」と言うのを聞いた。でもその人も、姉のように仕事だけに邁進できるなら、出世できるのではなかろうか。
そんな言葉を飲み込み、私は今日も母を介護し、甥姪に愛情をそそぎ、家族の食事を作るのである。