石原裕次郎、浅丘ルリ子
浅丘ルリ子との共演『銀座の恋の物語』(C)日活
1987年7月17日、52歳でこの世を去った不世出の映画スター・石原裕次郎。「昭和の太陽」と呼ばれた彼が出演した日活映画は、カメオ出演も含めて89作品。さまざまなヒロインがスクリーンを彩った。アクション映画、文芸作品、青春映画、サラリーマン映画など、そのジャンルも幅広い。まさに昭和の娯楽映画の象徴であり、20世紀のエンタテインメントだった。裕次郎の39回目の命日に、裕次郎映画で輝いたアクトレス、ミューズたちを娯楽映画研究家でありオトナの歌謡曲プロデューサーの佐藤利明氏が紹介する

北原三枝

1956(昭和31)年4月14日。日活撮影所第四ステージで、石原裕次郎は北原三枝と初めて逢った。裕次郎が初主演作『狂った果実』(1956年・中平康)に出演するにあたり、出した条件が、日活のトップスター・北原三枝を「相手役にすること」だった。

その時のことを北原三枝=石原まき子夫人は「真っ白な背広を着た男の人が、太陽に向かってどんどん歩いていく。プラチナを粉にして、空から天使がキラキラを蒔いているような、太陽の光が燦々と、真っ白いスーツを着た裕さんの後ろ姿に注いでいるわけです。」(筆者のインタビュー)と回想している。

人妻と無軌道な若者のひと夏の愛を描いた『狂った果実』はセンセーショナルな話題となり、裕次郎は一躍、時代のスターとなった。以後、北原三枝と裕次郎は『勝利者』(1957年・井上梅次)、『俺は待ってるぜ』(同・蔵原惟繕)など25作品で共演。日活黄金時代の礎となった。

 

石原裕次郎、北原三枝
のちに裕次郎の妻となる北原三枝『狂った果実』(C)日活