江戸のメディア王として、日本のメディア産業、ポップカルチャーの礎を築いた人物“蔦重”こと蔦屋重三郎(横浜流星)の生涯を描く大河ドラマ『べらぼう~蔦重栄華乃夢噺~』。史実と同様、ドラマ内では、田沼意次の嫡男・意知が佐野政言の手で絶命しました。意次の正統な後継者として異例の出世を遂げるとともに、立場を超えて市中の誰袖や蔦重と交わるなど、視聴者から愛されるキャラクターでもあった意知。演じた宮沢氷魚さんにお話をうかがいました。(取材・文:婦人公論.jp編集部)
意知の最期について
田沼意知の最期の場面について。佐野政言から深い傷を負わされ、自分で体を持ちあげることもできないほど弱っているなか、すぐ横に父・意次がいる状況で目を覚まして…。
最初に誰袖の心配をしているんですよね。「何卒その者の世話を」と最後に至るまで、自分のこと以上に人のことを優先する。
しかも彼は終始、佐野のことを一言も責めないんですよね。本当なら、怒りを覚えていておかしくない。でも意知なりに佐野に対して理解、とまではいかないかもしれないですけど、分かろうとする思いが最後まで見えて。
ドラマの中の意知は、常に誰かのために動いていました。民のため、父のため、誰袖のため。
自分を優先するような人物ではない、という姿勢が貫かれていて。本当に、より豊かな国をつくるために身を削る覚悟のあった人物だったんだなっていうのが、最後の最後、意知という人物に対して覚えた印象です。
最期の瞬間も無念というより、むしろ穏やかに迎えられていたのは「思いを伝えることができた」という実感があったのではないでしょうか。
この回の演出家の深川さんに1つ大きなこだわりがあって。最期の瞬間、意知が拳を胸に当てる、っていう。それで多くを語らなくても、「やり残したことを託すことができた」と。言葉がなくても、受け継がれていくものっていうのをそこでしっかり表現できたように思います。