「ゴール」の存在

インタビューを受ける近藤光史さん
(撮影:中西正男)

この歳になってね、初めて“ゴール”の存在を認識しました。それがあるということは分かっていたけど、当然そんなもん見たこともない、経験したこともない。親父が死んだ時の顔は記憶にあるし、そこからある程度想像はできたけど、今は実感として「ゴールはあるんやな」と思うようになりました。一つの悟りかもしれませんし、否応なく悟らされたということかもしれません。

ゴールを意識はしているんですけど、そこまでに「これだけはやっておきたい!」と焦るような気持ちはないんです。旅行でここに行ってみたいとか、普通に考えることはありますけど「なんとかやり遂げなければ!」はない。

そこで思ったのが、よく考えたら、一般的な人生の4回分くらいは生きてきたのかなと。小さい頃から大変なこともあったけど、アナウンサーになって、タヒチに行って、戻ってきてラジオをやって…。人生を何周もさせてもらっているなとも思うんです。

この感覚を認識できたのはゴールが見えてきたからこそだと思いますし、そこで慌てない生き方ができているなら、本当にありがたいことだと思っています。

…え、もうこんなもんでエエの?小さい頃の話やら高校の山岳部の話、行きたい旅行の話もあるんやけど、大丈夫?それはまた次にしよか。(笑)

■近藤光史(こんどう・みつふみ)
1947年7月12日生まれ。岡山県岡山市で生まれ、主に兵庫県西宮市で育つ。早稲田大学卒業後、71年にアナウンサーとして毎日放送入社。同期のアナウンサーは野村啓司、平松邦夫。『ヤングおー!おー!』『MBSヤングタウン』などを担当。92年に毎日放送を退社しタヒチへ移住。日本人向けの海外挙式会社を設立する。2000年に帰国しMBSラジオ『こんちわコンちゃん2時ですょ!』でパーソナリティを務める。過去に4回の婚姻歴があることをラジオなどで公表している。現在MBSラジオ『こんちわコンちゃんお昼ですょ!』『日曜コンちゃんおはようさん』でパーソナリティを務めている。昭和プロダクション所属。

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