(撮影:村山玄子)
評論家の樋口恵子さんと作家の黒井千次さんは、幼馴染。ともに「老い」に向き合う著作が話題となっています。戦争体験から八十余年、人生の悲喜こもごもを経験してきたお二人が、近況を赤裸々に綴りつつ、エールを送り合ったお便りを紹介します。(イラスト:マツモトヨーコ 撮影:村山玄子)

「《第三信》黒井さんから樋口さんへ」よりつづく

《第四信》黒井さんから樋口さんへ

樋口恵子さま

二通目のお手紙いただきました。

二度目であるためか、最初のお便りより、樋口さんの肉声がより鮮明に力強く運ばれてくるような感じがあり、深く頷いたり、小さく首を傾げたりしながら読ませていただきました。

ゆったりした柔らかな影が、樋口さんの足元からこちらに向けて伸びてくる気配がお便りのまわりに漂っている印象を受けました。

いただいたお便りの中で、自分の生命について語っておられましたね。

無数の精子の中から、「たったひとつ」が卵子に辿り着いた。われわれの生命の元ができた――という樋口さんのお言葉にはいささか驚かされました。自分の生命の根源を「ものすごい競争を勝ち抜き、人の形になった」ものとしてとらえる姿勢の力強さ、逞しさ。

自分の生命のことを、そのようなシレツな競争の結果生まれたものとして、認識する姿勢がこちらにはなかったからでしょう。

苦労した記憶は自分自身にはないけれど、それはたとえば、大学受験などとは比べようもないシレツな競争であったに違いない。とにかく、そんなふうにして、樋口さんもワタクシもなんとか生まれてここまで来たわけです。戦争や自然災害を切り抜けて交通事故などにも遭わずにこれた。

だから、老いた身で、この先にある自分の〈死〉について考えねばならないのでしょう。樋口さんの二通目のお便りに、そのあたりについての心配りがあったのだろうと、想像しました。