おいしいものを食べるのが最上の方法

若い頃の私は、ほしければ冷蔵庫いっぱいに材料を買い込み、それを新鮮なうちに使い切る才覚には欠けていた。しかも50歳くらいまでの私は、母からもお料理学校などからも料理を習ったこともなく、手早く食事を作るという技術もなかった。

それがいつの間にか調理が実に手早くできるようになったのは、私が仕事柄、時々外食をして、専門家の作った料理を食べさせてもらう機会が多かったからである。料理を学ぶには、おいしいものを食べるのが最上の方法だ。

『人生の後片づけ: 身軽な生活の楽しみ方』(著:曽野綾子/河出書房新社)

中年以後になって、私はものでも人間の才能でも使い切ることをみごとと感じるようになっていた。ちょっとした眼、知識、そのものの存在をいとおしむ心があれば、活用したいと思うようになる。あらゆる人には必ずそれなりの特異な才能があって、それをうまく役立ててもらえば社会全体が得をするのである。どんな食材も、腐っていない限り必ずおもしろく使える。

そのヒントを与えてくれたのは、料理人の作ったお料理や世界の田舎のはての貧しい人々のご飯を私が食べたからである。私は先進国のぜいたくな暮らしにふれる機会はあまりなかったが、途上国で働くカトリックのシスターたちを経済的に支えるNGOに40年近く加わっていたので、アフリカの農民たちの食料事情もよく知っていたのである。