日本国全体で真剣な反省をする必要がある
親御さんから預かった有為な青年たちを死地に送り込むのである。仮に命を落とすことになろうとも、綿密にそれまでの作戦の効果を検証し、敵迎撃戦闘機の妨害戦術などを反映させた上で攻撃をするのでなければ、親御さんに申し訳が立たない。とにかく突入せよというものでは真っ当な軍事作戦の体さえなしていない。
ところが、実際には作戦目的と効率はそっちのけで、「これしか手段がないからやる」という状態に落ちぶれていた。特攻自体が作戦目的となり、敵空母の被害や地上戦の支援という本来の目的が二の次となってしまった感さえあったのだ。
海上特攻も同様であった。沖縄に向かった戦艦大和はむやみに突っ込み、3000人超が戦死した。1941年の真珠湾攻撃で撃沈した戦艦アリゾナでも死者は1000人強だから被害の甚大さがわかるであろう。もちろん、戦艦大和や第2艦隊の乗員は沖縄を守ろうとして突っ込んでいったのである。だが、1945年4月の時点では、どれほどの意味があったのか。決して評価できる作戦ではなかった。
沖縄戦をめぐっては、戦争自体を否定する人、軍隊そのものを否定する人もいるが、勇敢に戦った人たちを否定してはならない。彼らは、人類史上例をみない勇敢さで出撃して祖国に殉じた。しかし、沖縄戦の航空特攻作戦や戦艦大和の最期は、人類に対して誇れる作戦では絶対になかった。
戦争のさ中には、そうした非合理な状態に陥ることもあるということを日本人は肝に銘じておかないと、また同じことをやるかもしれない。ああいう作戦をやったということについては、海上自衛隊のみならず、日本国全体で真剣な反省をする必要がある。また、その過程を政府として検証し、陸海空自衛隊が次の有事において、決して同じことを繰り返さないようにしなければならない。