陸海空幕僚長にも2年ルール
言い訳をするようだが、私の場合はまだよかった。1等海佐として5年半もの間、連続して海上幕僚監部の防衛部防衛課長などとして勤務したので、防衛部長になった時点で勝手知ったる我が家という状態だったからだ。
「よかった」と書いたが、私個人としては忸怩たる思いもあった。1等海佐として部隊勤務することなく、海将補に昇任してしまったからだ。自衛官の本分は部隊勤務である。戦闘任務に就く日に備え、部隊を鍛え上げ、統率するのが海上自衛官の役割と心得ていたので、1等海佐という脂の乗り切った40代を東京・市谷のデスクワークに捧げざるを得なかったのは、残念であった。
この人事は異例だった。普通であれば、1等海佐は昇任時から1年か1年半、海上幕僚監部で務め、現場部隊に配属される。だが、その当時は福地建夫さんというユニークな方が海上幕僚長で、防衛部を熟知した人材を育てようとされた。福地さんが白羽の矢を立てたのが私だったというわけだ。
部隊に行けば、1等海佐は部隊の指揮官である護衛隊司令として、お山の大将となるが、東京の海上幕僚監部では中間管理職でしかない。周囲からは「香田はかわいそうな奴だ」と同情の目を向けられもした。それはともかく、海上幕僚監部防衛部での勤務が長ければ長いほど、その職務には精通することになる。
だが、私のようなキャリアパスは、その後、続かなくなった。やはり40代はいろいろな経験を積ませたほうがいいという判断から、1等海佐の間は海上幕僚監部と部隊を行ったり来たりするというのは、確かに理想的ではある。しかし、より責任ある立場に関して言えば、そうも言っていられなくなる。防衛力整備という長期計画を練る仕事は、一朝一夕に成し遂げられるものではない。