武官から文官に波及

ここで少し、人事制度の歴史を振り返っておきたい。そもそも、2年ルールでポストを順繰りに異動させていくという慣行を取り入れたのは、明治政府における旧陸海軍が始まりだったというのが、慶應義塾大学教授の社会学者、小熊英二氏の指摘だ。

明治維新から10年も経たないうちに、陸海軍では、昇進のためのルールが設けられていた。武官進級条例というもので、昇進後に一定の期間を経なければ、次の階級には昇進できないと定められていた。例えば、中尉なら2年務めていなければ次の大尉には昇進できず、少将であれば3年が必要だという具合だ。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

小熊氏は著書『日本社会のしくみ』で「武官にこうした規定があったため、文官もこれに倣ったとも考えられる」と指摘し、文官の俸給昇進のルールにも波及したと論じている。

これは階級や俸給の昇進ルールであるが、ポストにも適用されるようになり、2年ごとに部署を異動しながら昇進するという形に発展していく。

戦前の武官進級条例や高等文官俸給令は戦後になって廃止されたが、人事の2年ルールはそのまま残り、今も変わらない。新聞などに掲載される人事情報を注意深く見れば、各省庁や自衛隊では、ものの見事に2年ルールを原則として異動することがわかるであろう。民間でも大企業を中心としてこの2年ルールを残している企業は多いと聞く。

こうしたルールは年次主義を前提としている。各年次トップの昇任は任官年次順ということである。例えば、海軍兵学校の同期同士では熾烈な出世レースが行われるのだが、先輩と後輩の間では出世レースは起きない。つまり、昇任は任官年次順、つまり海軍兵学校の「期」ごとに各年行い、その期のトップ昇任者に対し、後輩のトップ昇任者は決して上位には立てないということである。これが年次主義である。

もちろん、トップグループ以外の隊員の階級昇進に関しては、後輩が先輩を追い越すことはある。例えば、先輩は大佐なのに、後輩は少将になったということは特別なことではない。