東京の家を片づけて山梨に引っ越したわけ
当時、私は2度の離婚後、懸命に働きながら一人暮らしをしていました。娘たちが独立したあとに移り住んだのは、都内の一軒家。そこは、私が料理や手芸を教える「アトリエミリミリ」のスタッフや生徒さんが集うサロンでもありました。
アトリエには笑顔があふれ、幼馴染みで交際歴10年のパートナーとの関係も良好、人生のゴールデンタイムを満喫中だったのです。
そこへ母が現れ、たちまち私のリズムが崩れてしまいました。リビングにあったお気に入りのハンス・J・ウェグナーのデイベッドを母に提供したのですが、お教室の時間帯にそこでテレビを観ていられると困ってしまうわけです。
母が近くの温泉スパへ行くと言ってくれたのはよかったのですが、私が送迎バスの乗り場まで車で送り迎えをするのは疲れるなぁ、と溜息。一方でバス停のベンチにちんまり座っている母が可哀想で、このままではいけないと思ったり……。
そうこうしているうちに、母が膝が痛いと言うので、検査に行きました。その結果、パーキンソン病であることが判明したのです。咄嗟に思い浮かんだのは、同じ病気で車いす生活を送っていた父のことでした。
母も車いす生活になる。そうなると、段差が多く、お風呂が2階にある今の家での生活は無理です。バリアフリーのマンションへの引っ越しも考えましたが、新しい場所に馴染むまで母に負担がかかるし、敷金・礼金も必要だし、味気ない間取りの家に暮らすのは気乗りしなくて……。
姉はハワイ在住で、妹は孫が生まれてそれどころではない。私がどうにかするしかないの? と、本当に困惑しました。