何かいい手はないかと考えているときに、ふと思い出したのが、所有していた山梨の別荘のこと。昔子どもと行って以来、すっかり忘れていたのですが、そこならバリアフリーだし家賃もかかりません。20年以上、風を通していなかった建物は傷んでいましたが、少し手を入れれば暮らせるとわかりました。

でも、迷いがあったので、山梨の西湖(さいこ)のほとりで素敵なカフェを経営していた大好きな先輩女性に、どうしたらいいのかわからないと相談したのです。

そのとき、「お母さんの介護をしなかったら絶対に後悔するわよ」と言われたことが心に響きました。さらに占いにも頼ろうと方位鑑定のサイトで調べたら、私も母も山梨の方角は吉。これはもう抗えないな、と。(笑)

気がかりだったアトリエは、生徒さんに事情を説明して閉じることに。遠距離恋愛になるパートナーは「お母さんのことを優先するのは当たり前じゃないか」と言ってくれて、ありがたかったです。

東京の家を片づけて、仕事を全部辞め、2つのアトリエを泣く泣く閉じての覚悟の移住。でも、そのとき本当に嫌だったのは――冷たい娘と思われるかもしれませんが、母を介護することだったんです。母に「別荘に引っ越すからね」と伝えると、「あら、そう」。ねぎらいの言葉はありませんでした。

後編につづく

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