「私には母と対峙するために越えなければならない葛藤があったのです」(撮影:洞澤佐智子)
昨年、92歳の母を見送った岡田美里さん。老後の世話はしたくないと思っていた母を引き取り、孤軍奮闘した日々と、長年のわだかまりを手放すことができた理由を語りました。(構成:丸山あかね 撮影:洞澤佐智子)

突如始まった同居、勇気も自信もなく

母・靜子は2024年の3月に92歳で旅立ちました。1年以上経った今、過ぎてしまえば何もかもがかけがえのない思い出だと言えます。でも、私には母と対峙するために越えなければならない葛藤があったのです。

父(故E・H・エリックさん)との関係が壊れ、母が私たち三姉妹を置いて家を出たのは、49年前、私が中学3年生のとき。姉は高校卒業間近で、妹はまだ小学6年生でした。

母は華やかで明るい人でしたが、自分勝手なところもあって。家を出るとき、せめて私たち娘に、「こんなことになってごめんね」と言ってくれていたら、ずいぶんと救われたでしょうね。でも、実際は何も告げずにいなくなってしまって。「ちゃんと食べてる?」などと気遣ってくれることもあまりありませんでした。

時折母と会う機会はありましたが、とてもドライな関係。なかでも私が長女を出産したときのことが印象的です。母は私が病院から自宅へ戻った頃にふらっと現れ、孫を嬉しそうに抱いたあとは手伝ってくれるというより《ゲスト》という様子。私は「そういう感じなんだ」とひどく落胆したのを覚えています。

そうした小さな違和感やわだかまりが澱のように溜まっていたのでしょう。いつしか母の老後の世話はしたくない、と考えるようになっていました。