男女とも胡座(あぐら)か立膝で座る
戦国時代はよく江戸時代と混同されます。その理由の一つとしては、テレビや映画などの時代劇の舞台が圧倒的に江戸時代に集中しているからでしょう。そのため、これらの時代劇に親しんできた視聴者が「武士」という言葉を聞くと、自然と江戸時代の武士のイメージを思い浮かべてしまいます。
視聴者の多くが江戸時代の武士像に慣れ親しんでいるからこそ、時代区分としては直前、戦国時代の武家についての誤解や錯覚が、ほかのどの時代よりも多く見られるのではないでしょうか。
たとえば、戦国時代の人々の作法です。
日本人の座り方は、古来、正座が定番であったと思われがちですが、正座が広く社会に広まったのは江戸時代以降です。
正座という言葉も、一般化されたのは明治期であったという見解が定説となっています。とはいえ、戦国時代にも正座に近い座り方は存在していました。
その場合、膝と足指の先を床面につけて尻は踵に乗る「跪座(きざ)」が一般的でしたが、時折、足の甲を床面につける記述も史料に見られます。
戦国時代、武士の日常的な座り方は胡座(こざ/あぐら)が一般的でした。また、いざというときに素早く立ち上がることができるように、立膝や片膝立ても好まれました。
武士たちが跪座や正座のような座り方にあらためるのは、主君との対面の際など、貴人に対する儀礼が求められる場面くらいでした。
また、同格の武家との対面では、客と主人が最初は互いに跪座で礼を示した後、共に姿勢を崩すのが通例でした。
換言すれば、地位の高い人物が正座にあらためなければならない場面はかぎられており、家臣との謁見の場で正座をする主君という構図は、基本的にはあり得ない状況と考えてよいでしょう。