別所兄弟は手を取り合って…

その後、別所兄弟は手を取り合って広縁に出て、左右に整列し、家臣たちを呼び出した。

「この度の籠城では、兵糧が尽き果て、牛馬まで食べ尽くし、城の守りを固めて戦い抜いた。これは前代未聞の働きだった。しかし、我々はここで果てることとなった。諸士の命は助かることとなり、これ以上の喜びはない」

そう言うと、長治は腹を切った。介錯は三宅治忠が務めた。

「これまでご恩を受けた方は数多くおられたが、あなたにお供しようという者は誰もいない。私は恥ずかしいことに、家老として生きながら、何の功も立てられずに今日まで過ごしてしまった。心の内を語るには身に余ることではあるが、私はあなたにお供いたします」

治忠はこう言うと、腹を十文字に切り裂き、臓をえぐり出して息絶えた。

その後、友之はいままで仕えてきた家臣たちを呼び、太刀や脇差、衣装などを形見として与えた。

そして先に兄の長治が腹を切った脇差を手に取り、みずからも潔く腹を切った。長治は26歳、友之は25歳だった。まことに惜しいことだった。

ここに稀代の名誉ある出来事があった。別所吉親の妻は畠山総州の娘だったが、自害を覚悟すると、二人の男子と一人の女子を左右に並ばせ、凜として一人ひとりの命を絶ち、最後にみずからの喉を掻き切り、子どもたちと枕を並べて息絶えた。

これは前代未聞の働きであり、哀れを誘う出来事だった。

 

戦国武家の死生観 なぜ切腹するのか』(著:フレデリック・クレインス/幻冬舎)