兵庫県の三木城跡にある、別所長治像(写真提供:Photo AC)
エミー賞受賞ドラマ『SHOGUN 将軍』は、日本の戦国時代について再現性の高さも話題になりました。時代考証を担当した、国際日本文化研究センターで教授を務めるフレデリック・クレインス氏いわく「戦国時代の武士たちには、命より家の将来や社会的立場を重んじ、死を“生の完成形”と捉える死生観があった」とのこと。戦国時代の武士たちは、《合戦での討死は名誉》とされ、主君の死や敗戦の際には、ためらうことなく自ら切腹を選んだといいます。また当時は女性が表舞台で活躍する時代でもあり、その活動範囲は多岐にわたりました。そのため、女性たちも例外ではなく、自害は“武家としての教示”を示す行為としてとらえられていたそうです。戦国武士の生きざまを徹底検証したクレインス氏の著書『戦国武家の死生観 なぜ切腹するのか』より、一部を抜粋して紹介します。

女性たちも名誉を守るために

戦国時代には、男性だけでなく、武家の女性たちも自害という道を選択することが少なくありませんでした。

以下は、信長の家臣であった羽柴(豊臣)秀吉が別所長治を兵糧攻めにした、三木籠城戦を「信長公記」で別の視点から描いたものです。

天正8(1580)年正月17日の午後4時ごろのこと。別所長治は、わずか3歳の幼い子どもを膝の上に置き、涙を流しながらその命を絶った。

そして、妻を引き寄せ、同じ枕に寄り添わせたまま、刺し殺した。

弟の別所友之もまた、同じように妻を刺し殺した。そこには多くの亡骸が散乱し、目を覆うばかりの光景が広がっていた。