50歳目前で見せた「最後のあがき」

残念ながら、社員のメンタルヘルス不調を人事管理上の問題として、矢面に立って経営陣に改善策を要求する田川さんの姿勢を理解してくれる上司は現れなかった。実際には、田川さんが上層部に進言していた、管理職を対象にしたメンタルヘルス研修や、常勤の内科医に加えて精神科の産業医を非常勤で雇用することなどが数年後に実現し、大企業の中でも先進事例として業界紙で取り上げられるなどする。しかしながら、この間も上司との関係が思わしくなかったため、皮肉にも、彼の実績とはならなかったのだ。

いつしか、自らは課長のまま、所属する人事部の部次長も、部長も、自分よりも入社年次が下、つまり年下の上司となっていた。

2013年、50歳の誕生日まで1か月を切った田川さんは、それまで見せたことのない、苦虫を噛み潰したような顔でこう、心境を打ち明けた。

「自分の手柄にはならなかったものの、結局は私が考えていた社員のメンタルヘルス対策が実現したわけですから……本当は気に病むことは何もないはずなんですが……。“万年課長”になることだって40代半ばの時点で予測していましたしね。うーん、何と言うんでしょうか……そ、そう、往生際が悪いというのかな……。50歳を目前にして、最後のあがき、とでも受け取ってください……」

幾度も沈黙を挟みながら、歯切れの悪い話し口調だった。

田川さんが言った通り、13年のインタビューを「最後」に、彼が仕事の不満を口にすることはなくなった。

なぜなのか。今でも明確な答えを教えてくれてはいない。だが、彼の取材での受け答えや、仕事と私生活に対する考え方の変化をたどるなかで、前向きに定年後の再雇用の日々を送るヒントが見つかるかもしれない。