一から作る喜びがある
鹿賀さんに話を聞くとなったら『レ・ミゼラブル』は外せない。87年、帝国劇場での日本初演時のジャン・バルジャン役なのだから。
――まぁ、まさに第3の転機はそれですね。『レ・ミゼラブル』の噂は聞いてましたが、まだ僕も映像のほうへの志向が強かった時です。イギリスの演出家のジョン・ケアードが会いたがってる、って。
普通のオーディションとは違う形だったんですけど、明日ロンドンに帰るという日に彼のところに行って歌ったのが「スターズ」というジャベールの歌。ジョンは、「OK!」なんて言って、「また会おう」って帰っちゃった。
僕はどっちかと言うとジャベール刑事のほうが好きなんです。もともとはジャベールが高音でジャン・バルジャンが低音だったらしいんですよ。でも初演でバルジャン役を務めたコルム・ウィルキンソンという人が本当に美しいテノールで、神が降り立ったような声だったので、バルジャンのキーが高くなったんだそうです。そこが初演の面白いところですよね。
『レ・ミゼラブル』はまずロンドンでやり、ブロードウェイでやり、日本は3番目。初めての英語圏ではない国だったものですから、訳詞に岩谷時子先生のお力をお借りして。
僕たち出演者も、ほかの仕事をしながらですが、1年間レッスンしましたね。いろんな芝居のエチュードを勉強して。やっぱり歌う時の感情であるとか、要するに芝居を歌う、ということですからね。まぁ、『レ・ミゼラブル』は若い人たちの登竜門になってるんだなと思いますね。
たとえば、初演の時にガブローシュという男の子の役をやったのが、山本耕史だったんですよ。その頃から感性がよくて、代々のガブローシュの中でも一番だったと僕は思う。
ジョン・ケアードの直接の指導もあったからとも言えるけれど、その彼が今や一流の俳優ですからね。僕が70超えてるのは当たり前だな、なんて思います。(笑)