あたたかい存在に気づいたこと
いったい自分の人生は、何であったのだろうと頭を抱えたとき、見えてきたことがありました。
それは抗がん剤の治療の副作用でつらかったとき。そのとき家族の存在がとてもうれしく感じたことを思い出したそうです。
元気なときには、自分には家族なんていらないとまで思っていました。
しかし、薬の副作用で食欲がすっかりなくなり、食事に困っていたとき、奥様が作ってくれたお粥がとても口に優しく、気持ちが楽になったことを思い出しました。
ソファで横になって休んでいたとき、喧嘩ばかりしていた娘が、そっと毛布をかけてくれたことがうれしくて、心があたたかくなりました。
こんなに家族が、あたたかい存在に思えたことはありませんでした。
あたたかいと気づいた存在は家族だけではありません。
仕事を休んでいたとき、会社の後輩達から届いた手紙のメッセージがうれしく、気づくと自然と涙があふれていました。
今まで、本人にとって会社の人事評価は、数字がすべて。どれほど心があたたかくても、数字を伴わなければ会社には必要がないと信じてきました。
しかし、いざ自分が、仕事のできない人間になったとき、自分の存在を認めることができませんでした。会社の後輩達のあたたかな言葉は、会社にとって役に立たなくなった自分の存在を認めてくれる思いになりました。
これほど他の誰かの優しさに気づいたことはなく、何気ない誰かからの気づかいがうれしくなりました。食事を運んでくれる看護助手の一声があたたかく感じます。痛みが強くなったときに薬を届けてくれる看護師の存在が心強く感じました。