「あたりまえ」について考える
ところで、たとえば休み明けの朝などに雨が降っていたり雲がどんよりしていたりすると、なんとなく気分がアガらない、という経験はありませんか。ひとつ余分に気合いがいるし、気候の変化で不調を感じる人も少なくないでしょう。
いっぽうで、澄んだ青空からきらきらと太陽の光が射して、やさしい風が吹く日は、自然と気持ちも晴れて心穏やかになったりします。
実際、日光不足が不眠やイライラなどの不調を引き起こすことがあるように、私たちは適度に太陽の光を浴びることで、健やかな生活リズムを整えています。
そもそも、太陽の光がないと、植物は生きることができず、植物がいないと、草食動物は生きることができず、草食動物がいないと、肉食動物も生きることができません。
ということは、植物と太陽光との反応(光合成)でつくられる酸素が少しでも足りず、生きる糧である動植物がいない世界では、あなたはそこでゆっくり本を読むことはできないし、それどころか息ができないし、そこに居ることさえできない、ということになります。
日の昇る惑星に生まれた生物の宿命で、太陽の光がなければ生きることも生まれてくることもできないのです。
そんなのあたりまえ、でしょうか?
もしそう思う場合は、もう一度「あたりまえ」について考えてみてほしいのです。