生き地獄

悲劇はそれからでした。実は2月1日から15日までの2週間の日程で定期検査入院することになっていました。いつも通りの気持ちで入院のはずでしたが、入院時の簡単な検査でコロナと診断されてしまいました。それから2週間は生き地獄さながらでした。こんな苦痛が続くくらいなら死んだ方がましだ。瞬時そう思いました。

生き地獄の入り口に待ち構えていたのは、呼吸器の交換による痛みでした。平時の私は、喉の気管切開(気切)をしたところにカニューレという器具を埋め込み、そこにチューブを通じて呼吸器から空気を送るというシステムの中で命をつないでいます。

『ALS 苦しみの壁を超えて――利他の心で生かされ生かす』(著:谷川彰英/明石書店)

毎日20回ほど行われることになっているのは、チューブを外してたまった痰を吸い取る「吸引」というケアです。私たち人工呼吸器装着者にとっては、この「吸引」は死活問題なのです。コロナ罹患中の呼吸器の交換による痛みは想像を絶するものでした。それも吸引時だけではなく、24時間続くのですからたまったものではありません。

この痛みに追い打ちをかけたのは「環境リズム」の変化です。「環境リズム」とは私の造語ですが、要するに毎日ルーティン化して行われている環境のリズムのことです。自宅と病院の環境リズムの違いを決定づけるものは、ケアを担っているのが自宅ではヘルパーであるのに対し、病院では看護師だということです。

私の場合は、ほぼ毎日20時間程度ヘルパーに入ってもらっています。その時間帯は、ヘルパーは私のためだけに働いてくれるので、細部にわたる指示も徹底できるということになります。例えばポジショニングの取り方や口腔ケアなどは個人によってニーズが異なるので、ある程度担当し続けないと会得できません。

環境リズムの中には非常に細かいケアが含まれています。私の場合は朝食にはエンシュアという栄養を胃婁を通して注入し、昼食と夕食は普通食を摂っているのですが、まず経口の食事は禁止されました。

これは別にダメージはなかったのですが、飲水を止められたのは厳しい処置でした。私は夜寝る前と朝起きがけに水を100ccほど飲むことにしているのですが、これを止められたことは辛かった。口の中が砂漠状態になり、これも生き地獄を感じた要因の1つでした。

細かいことを言い出したら切りがありません。気切の部分に化膿止めの薬を塗ってもらっていたのができなくなったのも、痛みを増した要因だったと思います。目薬も朝晩に2種類の薬を差すことにしているのですが、それも途絶えました。当時口角炎を患っていて、口腔ケアの際無造作に触れられて痛みが走るなんてこともありました。

このようなケアは個人に付き添うヘルパーだからできることであって、病院の看護師に求めることができないことは百も承知しています。システムが違うからです。どの看護師さんも秒刻みで動く中で(本当に!)、良くケアしていただきました。ありがとうございました。特に退院直前にこちらの思いを察してひげをそってくれた看護師さんには感謝です。