「空中文字盤」

今回の入院では新しい問題というか課題に直面しました。それは病院関係者との意思疎通、コミュニケーションに関することです。

私は3年ほど前からST(言語聴覚士)さんの指導で、「Wアイクロストーク」という方式を取り入れ、全てのコミュニケーションを行っています。この方式は千葉県八千代市在住の医師の太田守武先生が開発されたコミュニケーションメソッドです。太田先生はALSに罹患されながらもハンディを超えて医療を続けていることで知られています。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

原理はとてもシンプルで、誰でも直ちに会得できます。私の部屋には、「あかさたなはまやらわ」の紙が貼ってあります。最初のステップは私がいずれかの紙に視線を向けます。対話者は私の視線がどこに向けられているかを確認します。

仮に「た」に視線が向けられていることが確認できたとしたら、次のステップは対話者が「たちつてと」と読み上げます。私は「と」を指定したいとしたら、対話者が「と」と発声するタイミングで私が瞬きをします。それを対話者が確認してようやく「と」が伝達されたことになります。

この作業を繰り返すことによって初めて、例えば「とうきょう」が確定し、それを対話者が「東京」に変換してコミュニケーションが成立です。今は慣れてしまっていますが、考えてみれば途方もない作業です。

入院してまず直面したのはこのコミュニケーション問題でした。私はこの方式を勝手に「空中文字盤」方式と呼んでいるのですが、STさんによればこの方式をマスターしているのは全国で私を含めて数人しかいないとのことでした。

当然病院にはこの方式に通じている人はいません。入院後しばらくは会話が通じず、完全にお手上げ状態でした。この事態が生き地獄に追い打ちをかけたことは言うまでもありません。

結論。「y=ALS×高齢者×コロナ」の方程式を完全に甘く見過ぎていました。反省──。

この厳戒態勢が解かれたのは退院の2日前の2月13日のことでした。担当医の伊藤喜美子先生が部屋に入ってこられ、笑顔で右手の親指を立てて「グッドジョブ」のポーズを見せてくれました。粋ですね! 素晴らしく好いドクターでした。このポーズで私は救われました。