2018年に明るみに出たロン・ハンセン事件

次に、時間をかけて人間関係を構築することで、機密情報が漏洩した現代の重要な事件を紹介する。2018年に明るみに出たロン・ハンセン事件は、中国情報機関による極めて緻密な手法を改めて鮮明に示したものである。

元米陸軍准士官であったハンセンは、シギントやヒュミント任務に携わった後、2006年から米国防情報局(DIA)に所属していた。ハンセンは、長年にわたりトップシークレットのクリアランスを保持し、機密情報へのアクセス権を持っていた。

ハンセンは、2013年から2017年の間、定期的に中国を訪問し、中国の諜報員と接触を続けていた。この期間中、アメリカの国家安全保障に関わる機密情報を中国側に提供し、その見返りとして金銭を受け取っていた。2018年6月、ハンセンはシアトル空港において中国行きの旅客機に搭乗しようとした際に、米国連邦捜査局(FBI)に逮捕された(2)。

この事件では、中国側の巧妙な諜報活動の手口が浮かび上がった。中国はハンセンに慎重に接触、最初の段階では他愛もない会話や公開情報に関する意見交換に時間をかけた。そして、彼の警戒心を和らげた上で、徐々に要求する情報のレベルを上げる手法が用いられたとみられる。このように少しずつ関係性を深めていくアプローチを取ることで、ターゲットが急激な拒否反応を示さないよう配慮していたのである。

更に、中国側はハンセンに対し、期限までに特定の情報を提供するよう要請し、それに対し、中国側は報酬を支払うという形式を常態化させ、明確なタスクを設定していた。これにより、ハンセンは情報提供を日常的な「仕事」と捉えるようになり、それに応じた報酬を受け取る仕組みが確立された。最終的にハンセンは中国から約80万ドルに及ぶ多額の金銭を受け取るに至り、経済的依存度を深めていった。

中国国家安全部は中国国内での通信手段として通信を秘匿化した携帯電話をハンセンに与えていたことも明らかになっている。ハンセン自身も、渡航は個人旅行と偽装して、アメリカの防諜活動による監視を回避していた。これは、ハンセンがヒュミント任務で得た知識と経験を活用した結果であると考えられる。

この事件は、金銭的な誘惑や段階的な関係の醸成といった伝統的な戦術が有効であることを世に知らしめた。

(2)U.S.Department of Justice『Former Intelligence Officer Convicted of Attempted Espionage Sentenced to 10 Years in Federal Prison』(2019)