(写真提供:Photo AC)
人が人に接触して情報を収集する活動を「ヒュミント(HUMINT)」といい、時に国の機密情報が漏洩する事態にまで発展することがあります。このヒュミントについて、一社)日本カウンターインテリジェンス協会代表理事で、諜報事件の捜査従事した経験を持つ稲村悠さんは、「相手を籠絡することで、他の情報収集手段では到達できないような情報を提供させるほどの強力な力を発揮する」と語ります。そこで今回は、稲村さんの著書『謀略の技術-スパイが実践する籠絡(ヒュミント)の手法』から一部を抜粋し、さまざまなヒュミントの手法をご紹介します。

ラストボロフ事件 日本中にソ連のスパイが蔓延っていた

ラストボロフ事件は1954年に発覚した旧ソ連国家保安委員会(KGB)によるスパイ事件だ。

ヒュミントを駆使したこの事件は、KGB(当時はMVD)要員のユーリー・ラストボロフがアメリカへ亡命し、日本におけるソ連のスパイ活動を暴露したことで、日本国内に大きな衝撃を与えた。

1946年、ユーリー・ラストボロフは、東京に派遣され、ソ連大使館で在日米軍に関する情報収集を行う任務に就いた。その後、一度ソ連に帰国し、日本でエージェントを募集する活動に関与した後、再び日本に戻り諜報活動を継続していた。

しかし、1953年のスターリンの死去後、ソ連の国家保安機関内で粛清が始まり、多くの諜報員が身の危険を感じ亡命を余儀なくされる事態が生じた。ラストボロフも亡命を選択し、日本国内で米中央情報局(CIA)の保護を求め、その後アメリカに渡った。

彼の証言により、日本におけるソ連の諜報活動の驚くべき事実が明らかになった。KGBは、日本政府のあらゆる組織に浸透して諜報活動を展開しており、日本共産党はソ連共産党の指令と資金提供を受けていた。また、第二次世界大戦後、ソ連に抑留された日本人捕虜の中からエージェントを獲得し、帰国後に報酬を与えて利用していたこともわかっている。更に、外務省や通産省の事務官がソ連に協力していた事実も判明した。