残務を片づけるために上京するときは、母のために食事の作り置きをしていました。母は、まだ身の回りのことはできていたのですが、妹の家でボヤ騒ぎを起こしたことがあったので、私は朝昼晩の3食を4日分、つまり12食の作り置きをすることにしたのです。

スーパーで山ほど食材を買ってきて、チンすれば食べられる料理を作り、冷蔵庫にぎっしり詰めて出かけました。長距離を運転して帰宅したとき、それが綺麗になくなっていると、もちろん食べてくれたほうがいいのですけれど、「ありがとうくらい言えないのかな」とイラッとしたり。私も慣れない生活でヘトヘトだったのです。

通販番組を見ながら「これを買ってほしい」「あれが必要」と言う母に、「同じようなものを持っているじゃないの」と諭しても、頑として聞き入れない。宅配便の方にお金を託して商品購入を頼んでいたことも――その方が機転を利かせて私に伝えてくださったおかげで未遂に終わりました。

母の身勝手さはわかっていたけれど、この際、何十年も抱えてきた気持ちをハッキリ言おうと決意。母が私たち姉妹を置いて去っていったときのことに初めて触れ、「なぜ黙って出ていったの?」と詰め寄ったのです。

そのとき、私の脳裏に、キッチンの片隅でキャベツを刻んで食べていた妹の可哀想な姿がよみがえってきたので、「せめて妹には謝ってほしい」と強く伝えました。でも母は黙って何も言わず、ついに謝らなかった。

この母娘の距離感に拍車をかけたのが、コロナ禍です。移住してから、娘たちも妹も来られないまま2年半、一人で母を看ました。母が喜んで通っていたデイサービスのおかげでずいぶん助かりましたね。

次第に歩行器なしでは歩けなくなっていた母は、「もうすぐ寝たきりになる」と、昼夜を問わず、しきりに訴えるようになりました。病気の進行を感じて不安だったのだと思います。でも私の中には、「実の娘に老後の面倒を見てもらえる自分は幸せだと、どうして言ってくれないの?」という気持ちが渦巻いていました。