反省と後悔を繰り返して
中村 話を蒸し返すようで恐縮なんですけど、闇営業問題が報じられたとき、どう思われましたか。
田村 最初に会社から言われたときは、5年前の話で、何のことを言っているのか正直ピンとこなかったんです。闇営業――まあ、直営業ですね――後輩の入江慎也に誘われてだったのですが、それも本当に初めてのこと。で、会社の人に、それが特殊詐欺グループの主催する会だったということを伝えられ、驚きました。結婚式と忘年会を兼ねたパーティで、「会場にはお子さんもいましたけど、本当にそうなんですか?」と確認しました。当時の写真を見せられて、記憶をたどってようやく説明できたというか、認識が曖昧だったんです。
中村 記憶では、どんなことをされたんですか。
田村 宮迫さんを含めて、そこにいたのは30分くらいだったと思います。僕は新郎新婦に花束を贈呈する役で、自身の結婚生活の自虐ネタで笑わせながら家庭円満の秘訣を語って、「末永くお幸せに」と簡単にスピーチして終わりです。そして宮迫さんがお祝いソングを歌って……という流れでした。そのあと、一緒にいた芸人仲間で飲みに行ったと思います。
中村 金銭受領についてはどうでしたか。
田村 謝罪会見でお伝えしたとおり、その会場でもらったわけではなく、居酒屋に移動した際に、幹事の入江からもらいました。これは非難されてもしかたないとは思いますが、当時の状況を事細かに覚えていなかったんです。会社に聞かれたときは、正直いくらだったかも覚えていませんでした。とにかく、僕自身とても軽率でしたし、あれ以来ずっと反省と後悔を繰り返しています。
中村 吉本興業から謹慎を言い渡されたのは19年の6月24日ですけど、それ以降はどんな生活をしていましたか。
田村 謹慎中は、基本的に家にいました。誰かに謝りに行きたいと思っても、「謹慎中やから、人に会いに行ったりするのはまだやめとけよ」と会社から言われていたので、電話で謝ったりはしましたけど。僕よりも、子どもと嫁さんがストレスを抱えていくのがわかったので、それがしんどかったですね。自宅前には報道陣がたくさんいましたし、妻が駐車場から車を出すと、カメラがパシャパシャしてくることがあったり、大変な心労を負わせてしまったと思います。
中村 お子さんは何歳ですか。
田村 高校1年と小学6年です。家族が優しかったというか、気をつかってくれているのが痛いほどわかりました。「お父さんの仕事はこれからどうなっていくかわからない」と子どもながらに理解したんでしょう。突然、次男が「僕は今月から『コロコロコミック』を買うのはやめる」と宣言したんです。子どもにこんな余計な心配をさせてしまっているのかと、胸が痛くなりましたね。
中村 それは本当につらいですね。奥さまはどうでしたか。
田村 嫁さんには発覚当時、すぐに報告をしました。でも、家族に余計な心配をかけたらいけないと思い、最初、お金はもらっていないと嘘をついてしまった。数日後、会社にお金をもらったことを説明したのちに、妻に本当のことを言いました。これはさすがにえらい剣幕で怒られました。というか、がっかりされた。はじめからホンマのことを言え、と。
中村 守らなくてはいけないものがあると、もしかしたら隠し通せるんじゃないかという気持ちが出てくるのもわかります。
田村 発覚当初、お金をもらっていないことにしようということを受け入れてしまったのだから、僕のなかでは「黙ろう」と決めてしまいました。その判断が僕の大きな過ちだと思っています。本来であれば、絶対に本当のことを言わないといけない、ともっと強く主張するべきでした。
中村 青山で開いた号泣会見、あれはどういう経緯だったのですか。
田村 僕は家にいる間、自分に反省を促す意味でも、テレビやネットの批判に向き合っていたんです。テレビでは「記者会見を開け」「なんでやらないんだ」という意見がたくさんありました。でも、僕が会見を開きたいと思っても、会社は、「いまはストップだ」「静かに謹慎していなさい」と。
そもそも僕らのから始まっているのは理解していたのですが、僕にも宮迫さんにも家族がいる。このままだと自分はおろか、家族も耐えられなくなるだろうと不安が大きくなってしまった。だから個人で弁護士と相談して、吉本に無断で会見を開いてしまったのです。
そのとき会社ときちんと話せなかったことは、今でも後悔しています。もう無理ですとか、精神的に追い詰められていることを会社側と対話できていればよかったと思っています。