奔流となって流れ出てくる感情表現
それだけではない。第四幕のフィナーレに来る伯爵夫妻の和解のシーンは、崇高な音楽の場となる。その崇高さにすばらしい大団円が加わり、ただの喜劇ではありえないような至極の境地を味わえる。
それまでのオペラでも、もちろん感情表現はあった。けれども、それはどこか一定の枠の中にはめられたような感情表現であって、モーツァルトの音楽のように奔流となって流れ出てくることはなかった。
それは、サッカーにたとえれば、「フィガロの結婚」を体験した者たちは、初めて近代サッカーを見たようなものだろう。サッカーについては詳しくないが、1960年代ごろまでは、選手はFWやMF、DFそれぞれのゾーン内からそうは動かず、ひたすらゴール付近に蹴り込むスタイルが多かったという。
それが、1970年代半ばごろから「トータル・フットボール」という革命的な概念が生まれる。MFはFWと絡み、さらに守り役のDFまでが攻撃に参加し、目まぐるしいパスワーク、ポジショニングによって敵陣を崩していく。新しいサッカーは、これまでのサッカーを風化させた。
「フィガロの結婚」もまた、目まぐるしいパスワークよろしく、歌手たちが声を重ねあい、二重唱があったかと思うと三重唱、さらには四重唱と、この世ならぬ世界を紡ぎ上げていく。その後のヴェルディやプッチーニのオペラでは当然かもしれないが、その世界を初めて型破りに創出したのは、「フィガロの結婚」だろう。