フランス革命勃発以前に自由思想を先取り

「フィガロの結婚」が革命的であったのは、近代というものの姿をほんの数年というタイミングで先取りしたからでもある。「フィガロの結婚」の初演は1786年、それから3年後の1789年にはパリでフランス革命が勃発している。

自由、平等をうたったとされるフランス革命は、じつのところむごたらしい暴力と流血の惨劇でもあった。革命下、「アンシャン・レジーム(旧体制・旧秩序)打倒」の名のもと、カトリックの寺院は打ち壊され、貴族の居場所はなくなった。農民さえもが虐殺の対象となったが、その理念だけは後世の人たちを魅了した。

(写真はイメージ。写真提供:Photo AC)

フランス革命に代表される革命が目指したのは、古い時代をぶち壊したのちにあるはずの「近代」である。近代は自由と平等、理性の甘い香りがして、人はその扉を開けてみたかった。そこから近代を求めての激しい闘争、社会のうねりがはじまるのだが、「フィガロの結婚」の音楽にはその近代の匂いがあり、物語にも近代への予感があった。

「フィガロの結婚」の台本は、フランスの劇作者ボーマルシェの喜劇「フィガロの結婚、または狂おしい一日」である。このボーマルシェの喜劇はアンシャン・レジームを揶揄し、体制を揺るがしかねない力があった。そのため当時のフランス国王ルイ16世はボーマルシェの喜劇の上演に対して圧力をかけたほどだ。ルイ16世は、喜劇の先に来るだろう革命を恐怖していた。

実際、ルイ16世の予感は当たり、こののちフランスでは革命が起こり、アンシャン・レジームは揶揄されるどころか、否定もされる。当然、モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」も、革命思想を内包している。モーツァルトのオペラ「フィガロの結婚」の上演についてもウィーンの宮廷では認めない方針であった。ところが、ハプスブルク家の国王ヨーゼフ2世は、「フィガロの結婚」のウィーン上演を認めたのである。

ヨーゼフ2世が、よほどモーツァルトの才能を認めていたのか、あるいは、モーツァルトがオペラ化するとき、台本作家となったイタリア人のダ・ポンテが危険思想をうまく糊塗していたのか。ともかく、フランス革命に先んじて、革命思想、近代への目覚めを煽る「フィガロの結婚」は世に登場したのである。